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 仲宿古代倉庫群(古代榛澤郡衙)  
         
         
   
         
 埼玉県大里郡岡部町の仲宿歴史公園は平成3年の調査で掘立柱建物址(高床式倉庫)16棟、竪穴式住居址13軒が発見された場所です、この大規模な高床式倉庫群は県内でも大変珍しく7世紀末~9世紀(奈良時代~平安時代初頭)の郡衙の址であったと考えられています、古代利根川と荒川に挟まれたこの辺り一帯はに榛澤郡が置かれ一つの行政区と成っていました、郡とは国府の行政範囲を幾つかに分類した一角であり武蔵国(東京都、埼玉県)で言うなら武蔵国内の榛澤郡と成ります、その榛澤郡の役所が榛澤郡衙で現在の市役所、町役場と同じです、一般に国府には中央より派遣された貴族などが国司となり郡衙には有力な在地豪族などが郡司に任命されています、仲宿古代倉庫群の倉庫跡は榛澤郡内より徴収された税を一時保管する施設でありました。  

 
         
 復元1号建物  
         
   
 発見された16棟の高床式倉庫址の内最大規模の1号建物と2号建物が現在復元されています、1号建物は奈良東大寺正倉院と同じ校倉造りで三角に加工した木材を組み合わせた強固な造りになっています。  
   
 (ネズミ返し)  
         
 高床式倉庫は保管された穀物などを湿気から守る為に床下の通気性を良くした造りと成っています、また柱と床の間にはネズミなどの小動物の侵入を防ぐ為のネズミ返しが設けられています。  

 
         
 復元2号建物  
         
   
 2号建物は柱の間に厚板を差し込む板倉造りです、1号、2号建物はその規模から郡内の正税を保管する正倉であったと言われています。  

 
         
 公園内の倉庫群跡  
         
   
 仲宿歴史公園内には復元された2棟の倉庫以外に8棟の高床式倉庫跡が保存されています。  
   
 これら倉庫群が建てられた時代に日本国内は律令制が整えられつつあり公地公民制が確立され各地方の農業生産規模に比例した税収が定められました、仲宿倉庫群は時代ごとに倉庫の数が増やされています、その事から榛澤郡の農業生産量と税収が徐々に増化していたと考えられます。  

 
         
 仲宿倉庫群の規模  
         
   
 仲宿倉庫群は平成11年の調査で倉庫址の数が16棟から20棟に増えたと言われ後々更に倉庫址が確認されると考えられています、その史跡指定地面積は大凡7000平方mに及びます。  

 
         
 郡庁  
         
   
 郡衙には郡内の行政を行う庁舎である郡庁が置かれていました、郡庁は郡司である在地豪族の館が兼用される事が多くあります、また郡衙には倉庫、郡庁以外に兵舎、御屋(郡衙内の食料管理施設)なども存在していました。  

 
         
 仲宿古代倉庫群周辺の竪穴式住居址  
         
   
 仲宿古代倉庫群内には13棟の竪穴式住居跡が確認されています、また倉庫群周辺に同時代の大規模集落址である熊野遺跡と白山遺跡があります、これら住居跡は郡司の臣下、奉公人、及び郡衙に関係した職人、人夫達の集落と考えられ倉庫群一帯は一つの都市となっていました。  

 
         
 郡衙をぬける東山道(古代道)  
         
   
 仲宿歴史公園の東側には江戸期の頃に主要街道である中山道が通されていました、この中山道の前身で奈良期の街道筋の東山道が同じ道筋で郡衙を通り抜けていました、東山道は現在の東京都府中市に在った武蔵国衙から此処榛澤郡衙を通り現高崎市で本道と合流して都へ向かう街道筋です、榛澤郡から徴収された租、庸、調などの税はこの東山道から都に運ばれていました。  

 
         
 古代蓮の生息池  
         
   
 仲宿歴史公園内には大凡1400年前~3000年前に大阪付近に生息していたとされる古代蓮が栽培されています、この古代蓮は古事記などに登場する蓮と同じ品種と言われています。  

 
         
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