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 戦国期の銃火器(火薬と火器の伝来)  
         
         
   
   
 ここでは火薬と火器が日本に伝わる以前の伝承の流れと発祥国の中国の火力兵器について見てみましょう、火薬は8世紀頃には既に発明され南宋時代には兵器として使用されていました、元王朝時代には大砲が出現し東南アジア方面に伝えられイスラム地域から14世紀にはヨーロッパへと伝承されます、(火薬については先行してヨーロッパへと伝わっていた)ヨーロッパへと伝えられた大砲は大きく改良がなされ強力な兵器として進化したのです。  

 
         
 震天雷  
         
   
  文永、弘安の蒙古来襲の時に日本軍を悩ませた所謂(てっぱう)です、砲の出現する以前の火力兵器で鋳物製もしくは陶器制の球弾に火薬を仕込んだ炸裂弾です、金王朝時代に女真族(満州人)によって発明され威力はさほど無いのですが爆音が大きく投石器または手投げで敵陣に放り込み敵をかく乱させるのに効果がありました、元朝時代には鉄片を仕込み炸裂と同時に鉄片が散乱し殺傷効果を高める仕掛けが施されていました、また明朝時代には兵器としてでは無く漁師達が川、沼などの魚を爆音で失神させ捕獲していたとも云われています。  

 
         
 元王朝時代の青銅製の大砲  
         
   
 13世紀元王朝時代の青銅製の大砲で文献上に残る最古の金属性大砲です、砲身は台座に固定して使用します、銃口がラッパ状に開口しているのが特徴です、これは発砲時の火薬によるガスを抜く為もので銃身に掛かる負荷を軽減させる為です。
 此れ以前にも古代ギリシャで火薬では無く蒸気により石弾を飛ばす大砲の存在が確認されていますが蒸気が沸騰するまで時間がかかる事と威力もさほど無い事から投石器が主流と成り後に消滅しています。
 

 
         
 明王朝時代の鉄製の大砲  
         
   
 明王朝時代には東南アジアやヨーロッパに習い大砲は大きく改良されます、砲身は鉄製で長く成り射程距離も大幅にのび移動と発砲時の反動をやわらげる為に台座には車が取り付けられ砲身後部に発火口が設けられました、当時此の種の大砲で約800mの射程が可能であったそうです、また明朝時代には砲身の長いもの短いもの、銃口の大きいもの細いもの、竹などを組んだ軽量砲(一発しか発射できなかった)と用途に応じて使用されていました。  

 
         
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