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19世紀の機関銃   
         
         
   
         
 1862年、アメリカ南北戦争の最中、アメリカ人「リチャード、ジョーダン、ガトリング」によりその後の戦争のありかたを大きく変える発明がなされます。彼が発明したガトリング砲は現在、世界各国の軍隊が装備する機関銃の前身で南北戦争当時の前装式ライフルの1分間に3発程度の弾丸発射数に対してこのガトリング砲は毎分200発の驚異的な発射数でした、其れによりガトリング砲は発明当時に最も恐ろしい兵器とみされたのです、今回はこのガトリング砲と同時代に発明された機関銃の性能、威力、実践での使用例などを見てみましょう。  

 
         
ミトラィユーズ砲   
         
   
 ガトリング砲が発明される10年程前の1851年にベルギー陸軍大尉によりミトラィユーズ砲が発明されます、ミトラィユーズ砲は斉射砲(一斉発射砲)で一つの砲身の中に何十丁もの銃身を仕込み、その銃身一つ、一つに薬莢と弾丸を装填して次から次へと銃弾を発射する方式です、11mmの弾丸をカートリッジを交換しながら大凡1分間に100発の速射が可能でした。   
   
 (カートリッジを装填する砲身後部)  (弾丸、薬莢が仕込まれたカートリッジ)  
       
 発射方法は予め銃身の数と同じ弾丸、薬莢を仕込んだカートリッジを砲身後部に装填します。   
   
(砲身最後尾のクランクバー)   
         
 次に砲身最後尾のクランクバーを回しながらカートリッジを押し込み銃弾を一発、一発、発射させます、ちなみにミトラィユーズ砲には紙薬莢が使用されていました。   
   
 1866年に25連装のミトラィユーズ砲がフランス陸軍に正式採用されます、1870年に普仏戦争(フランス対プロイセン)が勃発すると200門のミトラィユーズ砲が投入されました、しかしミトラィユーズ砲は重量が600kg近く有り、一門につき6名もの兵員が従事するなど操作性が非常に悪く、またフランス陸軍の作戦上の失敗などからあまり敵兵に対する効果が得られませんでした、基本的に機関銃は弾丸を無駄に使うもので幾ら毎分100発の発射速度でも効率良く使わなければコストばかりかかってしまいます、同じ普仏戦争に登場したフランス陸軍のシャスポーライフルの方がはるかに殺傷効果が高かったのです、其れによりミトラィユーズ砲は最前線から退き主に植民地で使われ後に姿を消したのです。   

 
         
ガトリング砲   
         
 
 1861年に複数の銃身を束ねて、それを回転させながら一丁づつ弾丸を発射する方式のガトリング砲がアメリカのリチャード、ジョーダン、ガトリングにより発明されました、この回転する銃身一丁づつから発砲する方式そのものが銃身に対する冷却機能で弾丸発砲時の銃身の過熱による銃身の損傷、破損を防ぐ為です、その回転方式により大凡毎分200発の弾丸を発射する事が可能で、これは当時としては脅威的な発射速度です。 
 さてこのガトリング砲はアメリカ南北戦争の最中に発明され、発明者のガトリング氏は積極的に北軍に売り込みをかけたのですがあまり評価されませんでした、当時の密集隊形で歩兵が前進する戦術に対してガトリング砲は大変効果のある兵器とわかってはいましたが、アメリカ南北戦争自体が内乱で言わば同胞同氏の戦争なので大量に敵兵を殺傷する兵器はあまり好まれませんでした、しかし南北戦争末期の1864年に北軍のB、F、バトラー将軍が実費で12丁を購入し南北戦争終結後の1866年にはアメリカ陸軍が正式採用を認め100丁を購入しています、此れ以後ガトリング砲は戦闘の最前線に配備される様になったのです。
 
 
(リチャード、ガトリング氏)  (巡視艇つくばに搭載されている20mmガトリング砲)   
         
 1866年ガトリング砲は米コルト社により生産が開始されます、それ以後、改良が重ねられ口径も0,58インチ(14,7mm)から13mm、6,5mmなど多彩な機種が生産される様になり、二次大戦以降には電動回転式に改良され各国の戦闘機、戦闘ヘリ、海軍の艦船などに搭載される様になります、日本でも海上自衛隊の護衛艦や海上保安庁の巡視船などに現在搭載されています。   

 
         
マキシム機関銃   
         
 
 1884年イギリス人のハイラム、マキシムにより弾丸発射時の反動を利用したブローバック方式で弾丸を装填、発砲する単身機銃、マキシム機関銃が発明されます、このマキシム機関銃のブローバック方式は全自動でその後の自動小銃(オートマチックガン)の原点でした、発明当初マキシム機関銃は0,45インチ(11,5mm)の弾丸を毎分500発程発砲できるガトリング砲を上回る性能であり、後装式ライフル30丁分の殺傷能力に匹敵しました。マキシム機銃の発明は後々の戦術に変革をもたらす事になります、日露戦争、北清事変、第一次世界大戦では大いに採用され、特に第一次大戦においてはマキシム機関銃やブローニング機関銃などの自動機関銃が大量に戦場に投入される事により塹壕戦に身を隠しながらの戦闘となり、塹壕から数ヶ月も出られない状態が幾度も続いています、その為に第一次対戦は長期戦となってしまったのです。  
   
 マキシム機関銃の銃身部が太くなっているのは水タンクです、銃身がその水タンクの中に通されています、マキシム機関銃は発砲による銃身の過熱を冷却水で冷やす所謂水冷式の機関銃でした。冷却水はタンク上部のキャップを開けて注入します。   
   
 マキシム機銃の弾薬はベルトにより供給されます、使用済みの薬莢は反対側から排出されます。   

 
         
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