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 勝山城  
         
         
   
         
勝山城CG、写真  
         
築城年代 平安末期頃  
         
 1180年(治承4年)に石橋山の合戦で敗れた源頼朝は安房勝山に上陸しました、この地の地頭安西氏は頼朝を大黒山(勝山の砦)に向かえ入れたといいます、これにより勝山城は安西氏により平安末期には既に築城されていた事になります。  

 
         
 戦国期の勝山城  
         
 1440年(永享12年)の結城の合戦の敗北により籠城方にいた後の安房里見家の初代当主「里見義実」は安西氏を頼りに安房国へ落ち延びました、その後里見義実は安房国にて勢力を拡大して稲村に拠点をおき安房里見氏が成立します。 
 安房里見氏が5代当主里見義尭の時代に勝山城の安西又助が安房里見氏の臣となり勝山城は安房里見氏の持ち城と成ります、又助は勝山城を水軍の要塞として(正木氏が居住していた事もある)安西水軍を編制し1556年(弘治2年)の三浦三崎沖の海戦では小田原北条氏と対陣して功を上げるなど活躍ぶりを見せます、安西水軍の装備と実力は房総水軍の中で主力船団である勝浦正木水軍と肩を並べる程でした、また三浦三崎沖の海戦当時には房総水軍の装備と実力は小田原北条氏の水軍力を上回っていました。
 

 
         
 安房勝山藩の成立  
         
 1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐以後も勝山城は安西氏が居住していましたが1614年(慶長14年)に里見家が安房国を退去すると勝山の地は上総佐貫藩主内藤政長の管理地となります、その後佐貫藩の領地は分割され内藤清政が勝山城の麓に陣屋を構えて勝山藩が成立します、しかし清政の後を継いだ弟の正勝の早世により勝山藩は一時廃藩となります、内藤氏の後に安房勝山は酒井忠直に分地され再び勝山藩が成立します、酒井氏は幕末に至るまで勝山を統治しますが最後の9代藩主酒井忠美がまだ3歳であった為に藩内は幕府支持派と尊皇派にわかれて対立します、結論の出ないまま戊辰戦争が起こり結局勝山藩は新政府軍に属して木更津で幕府軍と交戦する事と成りました。  

 
         
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