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 荒砥城  
         
         
   
         
荒砥城写真  
         
 築城年代 16世紀前半  
         
 荒砥城は北信濃で勢力を誇った村上氏の支城です、村上氏の当主村上義清は16世紀前半に葛尾城を本城として井上氏、高梨氏、海野氏など周辺氏族と功争を繰り返し強いては甲斐武田氏とも敵対します、その功争の最中に村上氏の一族の山田氏の居城として荒砥城が築城されます。  

 
         
 甲斐武田氏との功争  
         
 1548年(天文17年)村上義清は上田原にて小県郡南部に侵攻した武田晴信(武田信玄)を撃破します、更に1550年(天文19年)高梨氏との戦闘中に砥石城に攻めかかった信玄に対して義清は高梨氏と休戦した後に信玄に応戦してこれを打ち破ります(砥石崩れ)、それにより信玄は謀略による家臣団の切り崩しにかかり大須賀氏、屋代氏、室賀氏、石川氏など村上氏の重臣達を降伏させ義清を孤立させます、その後信玄は大軍をもって葛尾城に侵攻し落城させ義清は葛尾城を脱出して越後の長尾景虎(上杉謙信)のもとへ逃げ込みました、この騒動が後の川中島の合戦の発端と成ったのです。  

 
         
 荒砥城の廃城  
         
 1582年(天正10年)武田勝頼が自害して甲斐武田氏が滅亡すると北信濃は越後上杉氏の管理地となりましす、荒砥城は義清の葛尾城退去の後に信玄より村上氏の旧臣である屋代政国に与えられていました、屋代正国の養子である屋代秀正は上杉氏に従い海津城の副将に任命され荒砥城には城番役を置きます、しかし1584年(天正12年)秀正は信濃に侵攻してきた徳川家康と内通していた事が発覚し上杉景勝の軍勢に荒砥城を攻められ徳川家康のもとへと退去しました、その後荒砥城は廃城となり屋代氏の旧領は越後上杉氏の人質であった真田幸村に与えられました。  

 
         
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