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 牛久城  
         
         
   
         
 牛久城CG、写真  
         
 築城 1550年(天文19年)頃  
         
 牛久城は地元の豪族岡見氏により築城されました、当初岡見氏は筑波郡の在地勢力である小田氏に属しています、当時小田氏は佐竹氏、結城氏などに領内を侵攻されながら防戦を繰る返していました、牛久城はその小田氏の攻防戦の最中に配下の岡見氏により築城されたと考えられています。  

 
         
 小田原北条氏の傘下へ  
         
 常陸国において小田原北条氏と佐竹氏の功争が激化すると牛久城はその狭間に立たされていました、、岡見氏は小田原北条氏に属して佐竹氏と対抗します、それにより岡見氏は佐竹氏と同盟を結んでいた下妻に勢力を持つ多賀谷氏により幾度も攻撃を受け有力支城である谷田部城と足高城を失います、しかし牛久城は共に小田原北条氏に属していた布川豊島氏や高城氏による援軍でなんとか守り抜いています、その後牛久城は小田原北条氏により接収されます、これは一時的な防衛の為の処置と小田原北条氏は称していましたが実際は牛久城が岡見氏へ戻る事はありませんでした、そこで岡見氏は牛久城から稲荷川を挟んだ中州にある牛久城の出城「東林寺城」を居館として牛久城の防衛補助にあたります。  

 
         
 牛久城の廃城  
         
 1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めが始まると牛久城は開城します、その後北条方で小田原城に籠城していた由良国繁が秀吉の免罪を受けて牛久城へ入りました、1600年(慶長5年)国繁は関ヶ原の合戦で徳川方に属し江戸城の警備に就きその功により下総相馬郡1600国を加増されています、その後1628年(寛永5年)牛久城に山口重政が1万5000石に入封して牛久藩が成立し2代目藩主山口弘隆により牛久城の西端に牛久陣屋が設けられ以後幕末へと至っています。  

 
         
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