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                     常陸国分寺尼寺




              

 常陸国分寺尼寺は常陸国分寺から北西600mに位置しています、寺域は大凡160m四方でその伽藍の配置は南大門から北へ直線状に中門、金堂、講堂が配置され金堂は中枢部の回廊に囲まれた内側に置かれていました、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めで小田原北条氏に付いた大掾氏と豊臣方に属した佐竹氏の交戦により常陸国分寺尼寺は焼失しその後再建される事はありませんでした。



                              南大門と中門の基壇跡



                              (南大門、    中門、)

 現在の石岡市立府中小学校の北側が南大門でした、南大門の北側の中門から東西コの字状に回廊が延びて講堂へと達して中枢部の伽藍を形成していました。



                                 金堂と回廊

                   

                                  (金堂基壇)

 金堂は南大門と中門の直線状の北側で回廊に囲まれた中枢区画の中央に位置していました、現在その基壇は東西27m、南北17m、高さ1mに復元されていますが正確な規模は不明です。



                               (金堂を囲む回廊跡)



                                   講堂

                    

 金堂の北側裏手は講堂が置かれていました、中枢部の伽藍を囲む回廊はこの講堂へと渡されていました。



                             尼坊?と寺域外周の土塁

                    

 講堂の更に北側裏手には尼坊と思われる建物跡が確認されています、またその更に裏には土塁が東西に連なり寺域の境界であったと考えられています、尼坊と思われる建物跡は略土塁に接した状態で建っていました、また常陸国分寺尼寺の寺域外周はこれら土塁によって囲まれていたと推測されています。

   

                             (常陸国分寺尼寺の寺域を囲む土塁)

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