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上野原宿 
       
       
 
       
 与瀬宿から先の甲州街道筋は吉野宿、関野宿を過ぎて神奈川県と山梨県の県境手前で国道20号線から離れます、丁度その県境が相模国、甲斐国の国境でありそこから甲州街道はつづら折状の坂を登って諏訪番所まで通じていました。 

       
 諏訪番所 
       
 
 諏訪番所は諏訪の関、境川の関とも云われ甲斐国、相模国の国境警備の為に甲斐武田氏が築いた関所で江戸期に入り幕府がそのまま利用したものです、高台に位置している事から当時は見晴らしも大変良かったのでしょう、この諏訪番所は取り締まりの厳しい小仏関所から近い為に女人以外は通行手形を必要としない程警備が軽かったといいます。 
 当初この番所は此処より約1km西の諏訪神社東に在り諏訪番所と呼ばれたそうです、番所の櫓は昭和20年代まで残っていたとされその頃この辺りに駐留した進駐軍がなにかに利用していたと言います。 
 
 番所内には番所屋敷と40坪の木造平屋の建物が建っていました。 

       
 諏訪神社と桂川 
       
 
 番所から1km程進むと諏訪番所の名の由来と成った諏訪神社が建っています、1707年( 宝永四年)まで番所はこの付近におかれていました。
 諏訪神社の南方向を桂川が流れています、この辺りは相模ダムの関係で川幅も大変広く景観の良い場所と成っています。

       
塚場の一里塚 
       
 
 諏訪神社前の県道520号線(甲州街道)を進み中央高速道路の橋の下を過ぎると疱瘡神社が在りその裏側に「塚場の一里塚」の塚の部分が残っています、江戸から18里の一里塚でその残った塚は9m程の円墳(古代の古墳)であった様です。 
 
( 疱瘡神社前の甲州街道筋)

       
上野原宿 
       
 
 疱瘡神社のから新町のY字路まで進みます、此処で甲州街道筋は国道20号線と合流しています、この辺りから甲州街道「上野原宿」の町並みが連なっていました、宿入口付近が新町で少し進むと牛倉神社の参道が街道筋と繋がっています。 
 
 上野原宿は1804年~1818年(文化年間)には本陣1軒、脇本陣2軒、旅館20軒、商家250軒で江戸初期の頃から絹市が立つ程賑わった町であったと云います。 

       
上野原宿の裏通り 
       
 
 裏通りを少し歩くと「大正館」と言う映画館の建物が建っています、大正館であるので大正期から昭和初期に開業していたと考えられます、当時映画は無声映画の時代でしたがその頃にはまだ真新しい娯楽でこの辺りの都市部から離れた町では大変人気があったのでしょう。

       
 上野原宿脇本陣跡 
       
 
 国道20号線に戻り更に進むと右側にホテルルートインが在ります、此処が上野原宿脇本陣の一つでした。 

       
上野原宿本陣跡
       
 
 脇本陣から斜め北側に上野原宿脇本陣がおかれていました、現在脇本陣跡のホテルルートインから50m先の細い脇道へ入ると本陣の冠木門が残っています。 
 

       
月見ヶ池 
       
 
 本陣跡の更に北側には人口の溜池である月見ヶ池が掘られています、古代よりこの辺りは台地上に位置する事から水利が悪くその為に1916年(大正5年)から3年がかりで月見ヶ池を開削したと云います。 

 
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