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画期的戦艦ドレッドノート登場   
(ドレッドノートの艦歴)   
         
         
   

 
         
単一巨砲艦の発想とドレッドノートの建造   
         
 先に述べたように戦艦ドレッドノートの出現以前の戦艦は主砲である30.5cmクラスの連装砲塔を艦の前後に1基づつ装備しその補助として15cmクラスの副砲を両弦側に10数門配備するものでした、此れは大型砲の発射間隔の遅さを副砲で補うもので決め手となる主砲の砲撃間隔を速射砲で穴埋めしていたのです。1904年イギリス海軍第一海軍卿に主任したジョン・フィッシャー提督は従来の副砲装備の戦艦に代わる多数の同一の巨砲で統一された単一巨砲搭載艦の設計に着手します、当初新型艦の計画は2通りあり1つに25.4cmの砲を16門装備した、タイプ、もう一つには30.5cm砲を10門搭載したタイプです、どちらも対大型艦用の副砲は無く排水量も16000t級でした、結論砲の数が少ないながら照準器の改良と砲の命中精度を高める事で大型の30.5cm砲10門搭載したタイプが採用される事になりました。   
   
(進水式後のドレッドノート)   
         
 ドレッドノートは1905年10月2日に施工します、丁度日露戦争の終結から1ヶ月の事です、その4ヶ月後の1906年2月10日に進水、更に10ヵ月後の同年12月2日には就役します。施工から就役までわづか1年2ヶ月と恐るべき建造の早さです、通常戦艦の建造には4年~6年程かかるもので各海軍保有国はイギリスの造船技術の高さに驚かされたのでした。
 さてドレッドノートが建造された時代、イギリス海軍は質、量ともに世界の頂点に君臨していました、それに強力な火力を持つドレッドノートが加わる事でイギリス海軍は諸外国に歴然とした差をつけたのです、またドレッドノートの建造があまりにも早かった為に各国は建艦中の旧式艦を何年もかけて造らざるおえなく成り実際にドレッドノートに対抗するド級戦艦が各国出揃うのは1910年以降の事です。
 

 
         
試験航海へ出港   
         
   
(ポーツマス軍港を出港する戦艦ドレッドノート、左横は帆走艦ビィクトリー))   
         
 1907年1月15日早朝、試験航海に向けてポーツマス軍港を出港します、その航路はポーツマスからジブラルタル海峡を抜けてイタリアサルディーニャ島へ向かいそこからまたジブラルタルへ戻り大西洋を横断してカリブ海のトリニダート島におもむきポーツマスへ寄港する2万kmの航海です、その試験結果は機関、船体性能、砲撃実験の全てにおいて良好な結果と成ります、また初の大型船に搭載された蒸気タービンも非常に良好でジブラルタル、サルディーニャ間の3500kmにおいては一切のメンテナンスが必要無かったそうです、しかし最新の機構を幾つも取り入れた為か試験航海後に改良点、問題点があちらこちらで発覚しドレッドノートは修理、改良を繰り返す事となります。   

 
         
ドレッドノートの戦果   
         
   
 ドレッドノートは1907年~1911年までイギリス海軍の旗艦を勤めます、その後第一次世界対戦まで演習、改装、修復を繰り返す日々を過ごしていました。1914年4月地中海で演習中のドレッドノートに本国への帰還命令が出されます、帰還後当艦は第四戦艦戦隊へと所属します、それから4ヵ月後の1914年7月28日に第一次世界大戦が勃発しました、当初一次対戦では大艦同士の砲撃戦はあまり行われなかった事もありドレッドノートは実戦参加は略無く1916年5月31日の第一次大戦最大の海上戦である「ユトランド沖海戦」もドック改装中であったので参戦できませんでした、1916年5月にはテムズ川河口を本拠地とする後方任務の第3戦艦戦隊に移され第一線を退きます、この時点でドレッドノートは既に旧式艦であったのです。活躍の場が無かったドレッドノートでしたが唯一の戦果は1915年3月15日の事です、スコットランド沖で戦艦ネプチューンに魚雷攻撃を仕掛けたドイツの潜水艦U29が海面に浮上していました(魚雷攻撃は失敗)、海面に浮上すと猛スピードでU29へ向かってくるドレッドノートが確認されました、ドレッドノートはそのままU29の横っ腹に艦首で一撃食らわせます、U29は船体が真っ二つに切り裂かれ乗員もろとも海中へ没していったのです、強力な火力を期待され建造されたドレッドノートでしたが唯一の戦果が潜水艦への体当たり攻撃であったのです、戦艦が潜水艦を沈めたのは此れが最初で巨大砲は対戦中期待に沿う事できませんでしたが速力においては高速戦艦の意義を保ったと言えるでしょう(この時点で速力も他のド級艦には及びませんでしたが)。   

 
         
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